9月はワタシの誕生日です、ってもうオジサンなので祝うこともありませんが、9月は別の理由で一生忘れることの無い月です。
今やスタンス系をはじめ、ドレスアップ雑誌に頻繁に登場し、大阪の高槻市から一躍全国区となったバランスオートパーツウエアハウスさんの水島さんのことです。
広島から大阪にやってきて、バランスオートを単身で立ち上げた水島さんが昨年の9月に他界されたことは、一生忘れないでしょう。
この日のことは何十年も昔のことのように感じる一方、今でもお店にいけば水島さんが「お疲れさんです、っていうか、この間のアレどうなってるんですか!?」と困った顔をしてでてきそうです。
水島さんがショップを立ち上げた時、まさに私は会社から営業マンの辞令がでたころ。近所のフラットウェルさんに「やる気あるヒトやねん、ちょっと寄ったって~」といわれて長いお付き合いが始まりました。
お互いまったく同じ年式で、ガンダム好き(笑)。この世代は理屈っぽく、オタク、そして頑固で寂しがり屋が多く、まさに似たもの同士。しかも、下の名前も同じ「ジュン」。カスタムショップという特殊性もあって、依頼内容もムチャブリが多かったのですが、何か運命のようなものを感じ、商売度外視でお付き合いし、1人で小さなプレハブから始まったショップがどんどん有名になる姿を、自分のことのように喜んでいました。
センスのある、そして何より向上心のある素晴らしいヒトでした。
最近は出張が多く、地元関西もなかなか営業に回る日が無かったのですが、今日はたいした用事も無いのに、無意識にバランスさんに向かっていました。
いやもう勘弁してください…(汗)これだから行列のできる人気店は嫌いなんですよ。もうヒトとクルマだらけ。平日でこんな感じなので、案の定週末は恐ろしいことになっているようです。
トンでもないスーパー外車まで入庫して、特注ホイルの装着で忙しい最中でも、現在の代表、山崎さんは嫌な顔一つせず、作業しながら打ち合わせしてくれます。
本日の用事は二つ。一つは当社の開発中の新型ショックアブソーバーのテスト依頼。バランスさんは国内外の多くの有名サスペンションメーカーやエアサスメーカーとお付き合いがあるのですが、山崎さん自身は、日本の超有名国産サスペンションメーカーの開発の中核に20年以上居た人です。その知識と技術のあるヒトが、ショップという現場の最前線に居るんです。ムリを承知で以前もスタビリンクロッドのテストをしてもらいました。
開発できる人間が現場でテストする、という非常に稀なケース。当社はストラット用にKYB製の正立ショックアブソーバーを使っていますが、KYBさんは社内規定があって短いものはご法度。なので当社は短いものを自主開発中なのです。そちらのテストも請け負っていただけるとのことで、ホッと一安心。
そして、もう一つの用事は、バランスさんのオリジナルアームの購入相談。
当社もアームはオリジナル品がありますが、マツダ用は持っていません。だからなのか、最近バランスさんのアームの問い合わせと注文が多いんです。
https://ameblo.jp/balance-ap/entry-12386094117.html
アテンザ、アクセラ、CX-3、CX-5が人気だそうです。当社ではバランスさんの商品をお取り扱いさせていただいております。気軽にお問い合わせ下さい。カチッとナンバー、ナンバーオフセット、BROCADEホイルなど、良い商品がたくさん。ネット通販ではなかなかお目にかかれないないものが多数。
水島さんは、長い闘病生活で、一度もつらい様子を見せたことはありでした。入院しているときも、ガンガン問い合わせや質問がメールでやってきていました。凄いヒトだな、こんなに一生懸命頑張りたい、そう願うヒトになぜ神さまは意地悪するんだろう、と思っていたら、数年前に山崎さんとの運命の出会い。コンセプトやセンスの塊の水島さんに、一流企業で開発部門の頭を張っていた技術の塊のヒトがやってくるなんて、いくら狭いといわれるこの業界でも奇跡。この出会い以降、さらに力を得たバランスがさらに急成長していきました。最後の最後でのこの出会いを目撃した私は、本気のヒトにはチャンスがやってくるもんだ、と教えられたように感じました。
まだまだ、関東の出張時のレポートがたくさん残っているんですが、今日はどうしてもこのブログを書きたい気持ちが抑えられず、文章をしたためながら自分の気持ちも整理しています。
人間、いつかは死にます。若いときは意識しませんでしたが、40歳を超えて、仕事で10年くらいの単位で戦略や販売商品、流行なんかを考えていると、自分自身ももう60歳目前ジャン!となります。すると、目の前のことをしなきゃ、生活しなきゃ、ということとは別に、自分の生きる意味ってなんなんだろうな、と考えてしまいます。
40年余り生きていると、知り合い、身内、友人、取引先の方の死に出くわします。その時は悲しいものですが、良くも悪くも時間がたてば、すべて何事も無かったかのように動いていくということも、この歳になると分かってきて、なおさら「生きる意味」を考えてしまいます。
私自身はどうでしょうねえ。そこを考えたい気持ちもあるし、まだあえて考えたくないような、微妙な感じです。孔子にわせれば、
「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
ということで、私は惑わず、の40歳半ばなんですけどねえ…
でも水島さんは、確かに自分が子どものように愛したショップを残しました。それは建物や社名といった表面的な部分ではなく、自分のクルマ造りを通じて、色んなヒトが繋がって、たくさんのヒトが集まって楽しめる場所や空間を提供する、そいういう意味でのバランスというショップを残すことができました。
死後も、今日のバランスオートのように、たくさんのヒトとクルマが集う場所となる。何か生きた証を残したい、というのが人間の欲求ならば、水島さんは幸せな人生を過ごしたなあ、と改めてうらやましく思います。
シルクロードだって、そうです。45年前にラリーやダートラにあこがれる若者がドアを叩き、そんな若者にクルマと部品を提供したことが始まり。そのおかげ、こうやっていろんなお店やメーカーと係わり合いが生まれ、それが車文化の発展に貢献しています。
若い頃の私が、昨日のZOZOの社長の月旅行のニュースを見たらならば、自分はなんて志の低い人間だろうなとひがんだかもしれません。でも、今は穏やかに「取引先からびっくりするくらい利益しぼりとってます、ってアピールかよ。むしろ恥かしくないのかョ。還元してやれよ」程度の感想。そんなことよりも、たった一人でもイイ、目の前のひとりのヒトが、自分の仕事やサービス、もっといえば、自分が何気なく発した「ありがとう」といった、たった一つの言葉で、喜ばせることができたなら、十分、自分の人生は、生きた意味は、捨てたもんじゃない、という心境であり、それを教えてくれたのは水島さんをはじめ、日本各地のショップとお客さんの笑顔。
と、高尚なことを書いていますが、昨晩、自分への誕生日プレゼントだと、調子に乗ってアマゾンでSONYの高級タブレットをポチしてしまい、朝、月末の支払いを考えてあたふたのワタクシ… これもまた人生… 頑張って働こう…